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HITO LIFE働くを支える - 総合診療医の声

五十野先生インタビュー

Q.1 HITO病院を選んだ理由を教えてください。 HITO病院に興味を持ったきっかけは何だったのでしょうか? HITO病院への転職の1番決め手となったことがあれば教えてください。

私は、それまで筑波大学総合診療グループに所属しながら、総合内科、集中治療、家庭医療、そして大学院と様々な領域で学んできました。卒後11年目も終わり、一旦学び終えて、しっかり実践しようと思い立ちました。
次の勤務先を探すにあたり、「病院から患者も医療者も地域も笑顔にする」という夢がありました。それを長期的に叶えるために必要なのは、理解してくれるトップ、一緒に変えていける仲間、私が入る余地のある発展途中の病院ということでした。生まれてからずっと関東甲信越にいたので、はじめは関東圏で探し、見学にも行きました。
そんな折、私の希望条件を知ったある人から愛媛県の端に面白い病院があるから見に行ってみたら?と声をかけられました。その時はあまりに遠くて働く気はあまりなかったのですが、せっかくだから小旅行がてら飛行機に乗って、見に行くことにしました。
HITO 病院へ転職をした理由は、「いきるを支える」や理念が自分の方向性と合致するのと、ICT が画期的でワクワクするので、直感で決めました。
見学へ行ってみると、まず衝撃だったのはハード面です。これは見に来たらわかります笑。病院らしくない病院をコンセプトにしており、ホテルのように洗練されたエントランスや内装です。また、全員がiPhoneを持ち、SNSでコミュニケーションをとっていたのが印象的でした。直接会うか電話するしか無かった今までの病院とは考えられない光景でした。

そして、病院理念の「HITOを中心に考え、社会に貢献する」とそれを語る理事長に共感したのが大きかったです。病院名にもあるHITOは、患者さんだけでなく、病院で働く従業員も指しています。目指すところが私の考えていたこととほぼ一緒で、それを既に実現しはじめている。また、これからの日本や四国中央市の医療を考える中で、総合診療科にとても期待を寄せていることがよくわかりました。

病院内も理事長自らが案内してくれて、途中で落ちているゴミに気づいていました。大局を見ながら足元にも注意が向いている。小さなことですが、なかなかできることではありません。大きなビジョンは掲げるけど、院内の把握ができていなかったり、目の前の診療は頑張っているけれどトップとして方向性を見せられないのが普通でした。
さらに、私の見学にあたり、多くの事務系職員が動いてくれていました。彼らの動きが能動的で、楽しそうでした。病院事務というと、医師との接点はあまりなく、決められたことをこなすイメージが失礼ながらありました。ここでは、理念の実現に向けて、自ら考えて行動しているのだろうなと、見学する中でも感じました。
病院は築9年と新しく、総合診療科もこれから形作る段階である。立地や近隣医療機関など外部環境を考えても、立ち位置がはっきりしていて、経営面からみても将来性を感じました。
そして、私は海や山、ほどほどの田舎が好きなのです。移動の車中からみた瀬戸内の海と山のコントラストが綺麗でした。四国のど真ん中にあり、四国4県から岡山・広島まで1時間前後で行けてしまう。子供がまだ小さいのですが、ここなら自然の中で色んな遊びができそうだと思いました。普段の生活には困らない程度にお店はある。
初めての見学の帰路では、もうHITO病院に行く気になっていました。家族にとっては青天の霹靂だったでしょうね。

Q.2 着任して1年経ちますが、実際HITO病院で働いてみて、どのように感じますか?

やっぱり来てよかったです。今までの病院(でのストレス)は何だったのかと思うほど快適にやりたいことができています。やりたいことというのは、当たり前の診療を日々当たり前にこなすこと。患者にとってのベストを考えること。それを医師個人ではなく、チームで行うこと。チームには医療従事者も事務などの病院スタッフも、院外の関係者も含まれます。 また、日常生活も快適です。愛媛県の人(病院の大体)に言わせると、松山から遠い田舎のようですが、生活するのに困ることはありません。それに、名前の通り、四国の中央にあって、どこに行くのも1時間前後。休みの日に足を伸ばせば、色々な土地柄に出会うことができます。
着任前とのギャップはありますか?どのようなことでしょうか?

【やってみなはれ】
ここがすごいというのは他でも記事にしたものたちからわかる、チャレンジ精神や理念の体現です。
医療は完璧で当たり前のような雰囲気があり、病院事業でも完璧を目指す風潮を感じていました。完璧にできる準備ができないと物事が動かないが、完璧な準備ができた頃には、その試みが時代遅れになっている、ということが多々あります。ある程度の失敗は許容して、とりあえずやってみる。やってみて失敗から学んでいくことが大事だと私は考えます。
HITO病院は全体にそのチャレンジ精神が旺盛で、どんどん新しいことに挑んでいくことに驚かされます。それは病院の基本方針に「Challenge‼激変する環境の中でさらに進化する組織へ」とあることからもわかるように、トップダウンの方針です。そして、それを常に実行してきたからこそ、文化として根付いています。
CSV:マスクなどの医療資源が枯渇したら、地域の老舗企業と協力して、新しい製品を開発してしまう。
オンライン診療:やろうと決断してから、1ヶ月程度で開始してしまう。
ありえないです。
【ICT】
DX推進課とICTはやっぱりすごいです。どんどん新しいアプリが登場します。iPhoneというのはわかりやすいシンボルですが、その中身も進化させており、iPhoneとWebex Teamsだけでも十分便利なのですが、それをより使いやすく、より業務が楽になるように新しい手を打ってくれています。他院と比べてどうとかじゃないのですよね。最先端を行く、HITO病院の中で、昨日よりも良いデジタル環境を提供しようとしてくれています。
また、病院職員がDX推進に前向きなんでしょうね。DX推進課に現場の声を届け、もっとこうしたいという現場のニーズを伝える。技術ありきではなく、技術とニーズがマッチしているから、加速度的に便利になっていく印象です。
【手技がすごい】
研修医の(形成)外科手技がずばぬけています。ほとんどの傷の縫合とその後の管理は研修医2年目に任せられ、ずっと内科系をやってきた私など足元にも及ばないです笑。形成外科の指導医の教育のたまものです。ERのホワイトボードには、「縫合が必要ならまず研修医call」と伝言が書かれています。創傷処置のプロである形成外科のバックアップのもと、豊富なERの外傷症例の経験で、身につけています。羨ましくもありつつ、研修医がそれだけ上手いので、私にはもう縫合処置はまわってこず、上手くなることないですね。


【定時勤務】
朝8時前にも、夕方6時以降も医局に誰もいないです。医師は長く働いて当たり前、昼夜とわず、土日問わず働く。若い医師ほど働くという不問律がありました。ここでは業務効率が高く、どの診療科も定時勤務が当たり前になっています。それが研修医にも浸透していることは驚きですね。18時に医局の灯りが一旦消灯されるのですが、それであまり困らない笑。

【リハビリがすごい】
高齢者の入院治療にはADLを保つ、回復させることが非常に重要です。病気を治したけれど、その間寝たきりで、歩けなくなりました、では元の生活に帰すことはできない。ここでは78人という大規模のリハビリテーション部が、入院初日から、土日も毎日リハビリを行ってくれます。

【イマイチ】
イマイチなのは、意外と普通の病院なところもあること、学術活動が少なかったことです。
なぜこれを紙で運用しているのだろうとか、なぜこんな働きづらいルールが残っているのだろう?ということです。ただ、それでも今までの病院と違うのは、気づけば変われるということです。”普通の病院なところ”は、そこに長くいる人たちには分からない日常化しているものです。でも、外から来た異分子には、先進的な病院の中での普通(HITO病院にとっての旧態依然)が目立って見えます。なので、自分のこの違和感を大事にすることにしています。そして、もっとこうして行きたいという提案をすると、経営企画室などが積極的に動いてくれて、変革が実行されていくのです。
私はHITO病院に赴任する前に2つの大学院をでました。そこで行ったのは、1つめが看護補助者業務の改善です。2つ目はビジネススクールの卒論で、行動観察を行いました。どちらも、今の病院医療で不自由なことに着目して、改善策を見出し、誰かをハッピーにすることです。アイデアとしては達成したものの、残念ながら何も変わりませんでした。トップは共感してくれず、単発で終わってしまったのです。
それが、HITO病院では、アイデアや気づきを共有すれば、誰かがアクションを起こしてくれる。そして、それが極めて早い。やってみなはれ精神。素晴らしいです。
学術活動とは、学会発表、論文執筆などの院外へのアウトプットです。診療で目の前の患者さんを救う。それを院外に出力することで、同じような症例に遭遇し、同じように困る誰かを救うことができるかもしれない。症例報告が研究の起点になることもある。広く世の中の医療に永続的に貢献することができる。
理事長は先進的なHITO病院の取り組みで数多くのメディアに登場されていますが、それ以外ではなかなか出ていませんでした。もったいない。HITO病院には医学的に興味深い症例もたくさんある。また、症例ではなく、HITO病院の取り組みも興味深い。もっとHITO病院を世の中にしってほしい。
そのため、総合診療科では、この1年で・・・の数多くの業績をだしています。業績を出すことは、必然若手医師の教育にも繋がります。また、外に発表することで、内部にもそういう病院だったのかと気付かせるきっかけになります(インナーブランディング)

Q.3 当院だからこそできる本研修プログラムの魅力を教えてください。

五十野夫婦がいる
自分で言うのは何ですが、しっかり病院で総合診療を学び、実践しつづけ、かつサブスペシャリティを複数もつ10年目世代は稀有です。ほどよく興味や強みが異なる五十野夫婦が、あなたの成長を支えます。

ゆとり:定時勤務と新しい働き方
定時勤務はHITO病院のカルチャーです。HITO総診では、全診療にチーム制を敷き、休日は皆で平等に確保しています。有休も30分単位で自由にとって病院を抜けます。休日夜間に病院からcallがあっても、なんと院外からカルテ閲覧やオーダーが可能で、病院に行かずとも解決できます。燃え尽きんばかりの働き形をした時期も過去にはありましたが、今は持続可能な働き方を追い求めています。

場:全部診る
四国中央市は「日本一の紙の町」です。そこでは、製紙工場勤務の働き盛りの方から高齢者、都市部から山間部の新宮富郷まで、多様な住民が暮らしています。彼らのいきるを支えるHITO病院の研修には、急性期病棟、ER、初診は基本として、地域包括ケア病棟、訪問診療、診療所、緩和ケア病棟もあります。この幅広い活動範囲のおかえで、患者さんのニーズや状態にあわせた医療提供を学ぶことができます。

近未来の医療
HITO病院には近未来の医療があります。例えば2018年に導入したiPhoneは今全国で導入が徐々に進んでいます。数年のタイムラグの間に、HITO病院はさらに革新的なシステムを取り入れています。我々総合診療医というヒトとHITO病院の相乗効果で新しい病院医療の形を提案しています。

あなたの活躍の場がある
250床はほどよい規模感で、医師、多職種、専攻医、一人一人の活躍の病院への貢献が目に見えてわかります。まだ総合診療科は誕生したばかり。これから発展・拡大します。この創成期だからこそ経験できる挑戦があります。あなたが加わってくれることで、あなたのアイデアや行動で、今よりも実現できる医療があります。一緒に患者、医療者、地域のいきるを支えましょう!

Q.4 総合診療医の醍醐味とは、どのようなことだと思いますか?

院内で縦横無尽に力を発揮できることが総合診療医の醍醐味です。
総診と一口にいっても、若干得意分野に違いがあり、助け合うことができます。疾患の区別なく何でも診る。そして、HITO病院では各科の力を垣根低く借りられる。私達が診療のハブになります。どこに相談したらよいかわからないという、多疾患を抱える患者のニーズにもあっています。総合診療医が力を発揮する診療フィールドが幅広いです。ER、初診外来、急性期病棟も地域包括も、訪問診療も、診療所支援でも活躍しています。
また、診療以外にも活躍の場があります。委員会活動やチーム会、多職種連携などのコンダクター(指揮者)になり得ます。そして、自分も患者も医療者もハッピーにするということが最大の目標です。

プロフィール

総合診療科部長/臨床研修センター長/総合健診センター副センター長  五十野 博基

学会認定・所属学会
日本内科学会認定内科医、日本内科学会認定総合内科専門医、FCCS、JATEC、PEARS、JMECCプロバイダー、経営学修士、医学博士、日本内科学会、日本集中治療医学会、日本プライマリ・ケア連合学会 専門医 指導医






桃子先生インタビュー

Q.1 これまで、どのような経験・キャリアを歩んできたのでしょうか?

Q.2 総合診療+α(糖尿病)という、キャリアを歩んでいますが、どのような経緯でこの道を進まれたのでしょうか?

筑波大学卒業後、そのまま何も考えずに筑波大学附属病院初期研修医になりました。仕事を始めるという変化の中、生活環境を変えたくなかったからです。将来像はまだ何も見えていませんでした。初期研修は外病院(附属病院以外の市中病院)中心にローテートするプログラムにしました。1年目の4月も市中病院でスタートしました。そこで出会った3年目の先生に、グラム染色を教わり、症候からの鑑別や考え方を学びました。今思えば、それが総合診療科にすすむきっかけの1つです。
その後、各専門科ローテートを行いました。どこを回っても学ぶこと、経験することは楽しい!外科を回っているときは手術が楽しいし、循環器内科を回っているときはカテーテルやエコー、心不全管理が楽しい、神経内科を回っているときは病歴や診察楽しい。結局どの科に進むか決められないまま初期研修終了が近づきました。外科系よりは内科系かなとだけ考えたその頃、水戸協同病院という病院があって、内科を学ぶにはどうやらいいらしいということを耳にしました。スムーズかつ確実に筑波大系列から水戸協同病院へ研修に行くルートは、当時は筑波大学総合診療グループに所属することでしたので、教授と面談し、「ゆくゆくはどこか専門科に進むかもしれないが、水戸協同病院には行ってみたいので入局します」と伝えて総合診療科後期研修プログラムにのりました。
後期研修をスタートし、内科全般を学びました。疾患から入るのではなく、患者が訴える症状から鑑別、診断、治療まで完遂する。分野隔てなく、まとめて考える。複合的なプロブレムに効率よく一気に介入する。半年の研修を終えて、また各診療科のローテートをしましたが、その頃には進路が決まっていました。どうも総合診療・総合内科の方がしっくりくると。
もう一つ、大きな出会いがありました。糖尿病の師と出会えたことです。3年目の後半に循環器と腎臓内科をローテートしましたが、どうもやっぱり内科医である以上は糖尿病が診られないと話にならないなと感じました。虚血性心疾患も足壊疽も、糖尿病性腎症で透析も、重症感染症も、成れの果ての診療ももちろん重要だけど、こうなるまでの時間を患者に無駄に過ごさせないように適切に診療しなければいけない。一度しっかりと代謝内科を学ばないといけない。そこで、代謝内科の教授に直談判して4年目にローテートさせてもらいました。そこで2人の糖尿病の師に出会い、「とれるんだからとったらいい」と総合診療もやりながら糖尿病専門医研修を開始しました。今思えば本当に奇跡的なことです。
5年目から総合診療科に所属しながら代謝内分泌・糖尿病内科としても本格的に研修を始めました。今のスタイルの原型です。ここから3年はわけがわからないほど忙しく働きました(笑)。働くことが楽しかったし、わからないことが多すぎて勉強の時間も必要でしたし、一緒にディスカッションしながら高めあえる仲間がいたので、それほど苦ではなかったです。内科医としての基礎、総合診療科としての自立、糖尿病専門医になる、代謝内分泌の基礎をここで獲得しました。同時に、レジデントを束ねるチーフレジデントなども経て、マネージメントにも目を向けるようになりました。

さらに「患者が元気になる」ということはどういうことか、そのために何が必要なのかを考えるようになりました。治療で病気は治ります。でも寝たきりになったり、動けなくなったり、落ち込んだりして元気になれずに、家に帰れなくなる人をたくさんみてきました。医者はCareの部分には無力だなと強く感じました。自分でもできるCareはしようと思うと同時に、Careする人の力を組織内で高めるためにどうしたら良いか。
病院内でCareする人は結構疲弊している。目の前の業務に疲弊していて、変えたいと思っても変えるために議論する時間がない。この現状は何とかならないのかもどかしさを感じていました。これが、後述する今の地域包括ケア病棟での活動に繋がります。
自分でもできるCareは身につけたい、また、病気を抱えた人が家でどこまで療養が続けられるのか現場の実態を知りたいと思うようになりました。妊娠出産というライフイベントと、総合内科、糖尿病内科として研修がひと段落したこともあり、病院を出て9年目は在宅医療専門クリニックで1年間勤務し、24時間オンコール対応する在宅診療を経験しました。病院では食べられず、寝たきりになって帰ってきても、家では食べられるようになり歩けるようになる。医療においても、思っているより在宅でなんでもできることを知ります。病院勤務時代に「家では診られないでしょう」といかに決めつけて、患者家族に適切に情報提供できていなかったかを痛感しました。HOMEという魔法によっていかに患者が元気になるかを知ります。さらに、Careに合わせたCureも重要ということを知ります。この経験は糖尿病含めた生活習慣病診療にも大きな影響を与えます。生活を知らないとその人に合った治療にはならず、治療の継続に繋がらない。
私は関わらせていただく患者は元気にしたい。それは病気を治すだけではなく、病気を抱えながら元気に過ごすためにどうしたらいいかを考えたい。また、患者を元気にするためにはスタッフの元気が必須。そのためにどうしたらいいか、そのために自分はどう動くべきか、自分にできることは何かを考えながら進んでいきたいと思っています。

まず、総合診療に進んでよかったことや、サブスぺ領域に+になったことがあれば教えてください。
総合診療に進んでよかったことは、視野が広がったと感じることです。病気は1人の患者の身体で起こっていることで、さまざまなProblemは別物ではなく繋がっています。まとめてみることの醍醐味です。各分野での専門的知識がない分、自己完結はできないことも多いのですが、そのときは専門家との間に立って調整をする。CureもCareも様々な人の力を借りて患者を元気にする。そのコーディネーターであればいい。糖尿病診療は総合診療と同じです。その人の生活を考え、長くいいコントロールができるように寄り添う、合併症が出てしまわないように定期的に検査し、出てしまった時には適切に専門医へ繋ぎ、心理的な変化にも寄り添う。そこに専門的な薬や食事、運動療法などの専門的知識を絡める。

Q.3 子育てしながらの転職でしたが、新たな土地で不安はなかったのでしょうか?

不安はないわけないです。といっても、子育てをすることの不安というよりは、子ども、特に長女が馴染むかどうかだけが心配でした。長女は3歳になって、直前2年は同じ保育園でお友達もできて楽しく過ごしていたので、新しい環境に馴染めるかということだけ。こちらは方言もありますしね。結局その心配は取り越し苦労に終わり、子供ってすごいな〜で終わりました。

総院長も、糖尿病内科の扇喜先生も子育てについてはとても理解があり、特にコロナ禍で緊急事態宣言などもあったため、働き始めは勤務の入りを遅らせるなどご配慮いただき、有難かったです。

前述のように、HITO病院へ来るまでは産休・育休以外はほぼほぼフルで仕事をしてきました。結構体力的にもキツかったりしましたし、目の前の業務に忙殺されて自分のスキルアップに費やす時間がなかったり、プライベートでしたいことができなかったりと、work life balanceについては悩んでいました。今は週4.25日で契約させていただき、平日週1は自分で自由に時間を使っています。病院へ行って調べ物をしたり、平日残った仕事を残業で片付けに行くこともあります。また、週1まとめ買い物をする、金融関連・役所へいくなど各種家の手続きのことをする、洗車や家の掃除など。なかなかこの辺の家のことも、休みに子供がいては効率的にできませんので、週1平日の時間がかなり有難いです。何よりも自分のタイミングで自由に動く時間があるのは心理的に大事だと実感しています。とはいっても、ぼーっとしている時間は全くありません(笑)。
実際に働いてみて、働き方のサポート体制などはいかがでしょうか?
まず、総合診療科は現在チーム制・シフト制で働いていますので、1人が抜けても大丈夫という形で働いています。全患者を全員が把握し、いなくても治療が遅れないようにしています。自分が抜けたら仕事が回らない体制はしんどいですが、そうではないので気が楽です。子供が熱を出して帰らなければいけないなどがあっても、すんなり抜けてます。そこに何かをいう人は全くいませんよね。

Q.4 先生が思う、総合診療医に必要なスキルとは何でしょうか?

「HITOを思う心」(クサっ!!)
自分で知識を得て、患者に還元すること(方法は教えます)
様々な人と対話するスキル(これは実践!笑)

Q.5 地域包括ケア病棟のフロアマネジメントも行われていますが、具体的な取り組みなど教えてください。
今後の展開などがあれば教えてください。

今年度の法人目標Challenge!!を元に、なんでもやってみようと考えています。
患者を元気にする、笑顔にするためにCureとCareの質を高めたい。また、スタッフを笑顔にしたい。スタッフの笑顔は患者の笑顔に直結します。CureとCareの質を高めるために、アセスメントを掘り下げる、各専門チームとの連携、臨床疑問からの軽い勉強会などを考えています。スタッフの笑顔のために、残業時間0を目標に分析を進めています。また、慣習的になりがちな業務に無駄がないかの洗い出しや、効率化を計っていきます。私は医者ですが、他人事と考えずに、ズケズケ入っていきます。

Q.6 ママさん医師から見て四国中央市はどのような印象でしょうか?

正直に言いますよ〜、、、いや〜、普通!!(すみません 汗)
というのも、このコロナ禍であまり遊びにいけてませんしね、まだよくわからないというのもあります。生活には全く困っていません。そりゃ〜欲を言うとキリはない。
スーパーの食材は豊富で、魚も多くていいですし、関東圏とは違う食材もあって楽しいです。屋外では公園は色々なところにあって、景色もいいところもたくさんありますし楽しいです。四国中央市だけじゃなくて、西条市や新浜、今治、徳島県三好市など近隣含めると屋外の公園、遊び場は飽きはきません。五十野家は今アウトドアを始めたので、もっぱら外に遊びに行きます。自然は豊富なので、子供が綺麗な空気を吸って、水に触れて、目一杯走って遊ぶのにはとてもいい環境です!
子供の買い物も、最低限のものはあります。欲を言うと、ベビーや子供のお店は複数あると嬉しい。でもこれも、隣の新居浜にいけば解決するので。私は土地勘の関係もあって高知市へ行ったりします。1時間以内に行けます。
子供なら誰もが好きなアンパンマンは、とても身近に感じますね。子供はJRのアンパンマン列車に大興奮。子供たちは赤と黄色と白は乗りました。コロナが明けたらトロッコに乗って瀬戸大橋を渡りたい!!
うちの子は恩恵に預かってないですが、おむつが1年タダなのはかなり有難いのではないでしょうか!!?

プロフィール

総合診療科 医長 五十野 桃子

学会認定・所属学会
日本内科学会認定総合内科専門医、日本糖尿病学会認定糖尿病専門医、日本内科学会、日本糖尿病学会、日本内分泌学会、日本在宅医学会、日本プライマリ・ケア連合学会






井原先生インタビュー

Q.1 これまでの経歴を教えてください。

私はここ四国中央市(旧伊予三島市)の出身です。地元の高校を卒業し、平成22年に愛媛大学に入学しました。平成28年に卒業し、当院を基幹病院として初期臨床研修を行いました。現在は当院の総合診療専門研修・家庭医療研修プログラムのレジデントとして勤務しています。

Q.2 なぜ、総合診療医を目指そうと思ったのですか? きっかけなどがあれば教えてください。

正直な話をすると、最初から総合診療医を目指した訳ではありません。初期研修医の頃は学生時代から憧れていた外科医になりたいと考えていました。自分の手で患者さんを治しているという実感があったからです。しかし、実際に研修をしてみると、いかに外科医に向いていないかを痛感させられる日々でした。そして研修を続けるうちに、疾患を治療するだけでは患者は幸せにならないと感じることが多くなり、未熟だった私は研修に喜びを感じられない時期もありました。本当に情けない話ですが、最終的に外科医になることは諦めてしまい、お世話になった方には本当に申し訳ないことをしてしまったと思っています。
しかし、このままでは役立たずの医師で終わってしまうと思い、何か自分にできることはないかと考えていた時に、総合診療に出会いました。当時の総合診療科の上司は、彼は疾患(disease)のみならず、病い(illness)にも診療の視点を向け、患者家族を支える人でした。そんな診療スタンスに自然と憧れを持ったのと同時に、自分に絶対的に不足していた考え方でした。
総合診療というと診断科(病気の名前を言い当てる)としてのイメージが強いですが、その守備範囲は広く、時には深く複雑で、捉え所の難しい診療科だと思います。時には診断さえつかないことさえあり、疾患だけをみていては患者さんの生きるを支え、満足度を上げることはできません。個人的な意見ではありますが、“医療の不確実性に耐えながら、患者さんのために「何をどうするかを一緒に決めてあげられる」伴走者”が一番総合診療をうまく言い表した言葉ではないかと思っています。まさに現代の赤ひげとも呼べる存在ではないでしょうか。なんと面倒臭い、と思う方もいらっしゃると思います。その通りだと思います。この面倒臭さ、お節介を面白いと思えたから、私はこの道を選んだと思います。

Q.3 当院での研修について、率直な感想をお聞かせください。

当院の研修の魅力・特徴は、充実した指導体制と、働き方改革、ICTで武装した診療体制だと思います。直接または院内SNSを通じて、欲しい時に指導医から診療のフィードバックがもらえます。これは心理的な負担の軽減にかなり繋がっています。そしてスタッフの先生の細やかな配慮で無理のない働き方ができ、肉体的な負担が軽減されています。さらにI C Tを活用した医療介護連携、EBMの実践は他に類を見ないでしょう。これらの要素は病棟総合医(ホスピタリスト)のコア・コンピテンシーに含まれており、ホスピタリストとしての素養を身につけることに繋がっています。

Q.4 今年度で研修期間が終わりますが、今後のキャリアプランをお聞かせください。

気の利いたことを言えず申し訳ないのですが、今後のキャリアプランについては未定です。私は医局に属さず、勝手に就活し、気ままに生きているので、参考になるキャリアプランはございません。悪しからず。
ですが一つ目的(夢)にしていたことがあって、それは一生のどこかで地元で働き、でも自分を育ててくれた土地に恩返しをするということでした。人生は長いようで短く、健康で生きられる時間は意外と短いことをこの仕事を通じて痛感します。ですから、生きているうちに、自分を育ててくれたこの四国中央市に微力ながら貢献ができたらいいなと思い、現在も地元で働いています。
今その目的はひとまず達したので、今後はこの四国中央市に拘らずに、もう少し勉強をしたいなとは考えてはいます。差し当たっては専門研修を修了することを目標にして、次を考えたいと思います(いつになることやら、、、)。
総合診療医は働く地域、場所によって求められる役割が全くと言っていいほど違います。診療行為のみならず、医療経営、医療安全、予防医学を含む公衆衛生など多岐に渡るジャンルを数年の専門研修のみで全てを会得することは不可能と私は考えています。時間はかかってでも、病院に限らず多くの場所で働いてみたいという希望はあります。
最終的にはここ四国中央市で総合診療の奥義とも言える在宅診療(私の勝手なイメージ)を実践するホームドクターになりたいなと思っているので、そこを最終終着点にしながら、キャリアを考えていきたいと思います。何かいい方法があるよという方は、ぜひ教えてください。

Q.5 休日の過ごし方や地元出身者のオススメスポットなどがあれば教えてください。

時間があるときは、車でドライブしています。コロナで遠出はできませんが、景色の良いところはたくさんありますよ!

プロフィール

総合診療科 医師  井原 康輔

学会認定・所属学会
日本プライマリ・ケア連合学会、日本内科学会、日本病院総合診療医学会






近藤先生インタビュー

Q.1 地元出身ですが、HITO病院にはどのような印象を持っていましたか?

小学生の時に祖父が石川病院(HITO病院の前身)に入院しました。よくお見舞いに来ていましたが、その時の印象が強いです。当時は地元の中では比較的大きな総合病院という印象でした。その時はまさか自分がこの病院で働くとは思っていませんでした。
HITO病院としてリニューアルした後は、様々なことに挑戦しているアクティブな病院という印象でした。

Q.2 総合診療医を目指すきっかけはなんだったのでしょうか?

まず研修医の頃にローテートした総合診療科が楽しかったことです。臓器にこだわらない診療が性格的にも合っていると感じました。 もう一つは両親の影響です。私の両親は定年退職を期にデイサービスを始めました。もともと父は会計士、母は看護師+ケアマネジャーでした。デイサービスは母の夢だったようです。「高齢化が進み、独居の方も増えている。何かできることはないか?」そんな熱い気持ちで、子供にほとんど相談することなく気づいたら走り出していました。ただそれがきっかけで私自身、地元の医療や介護の体制に興味を持つようになりました。そして総合診療医なら活躍の場が多いと思いました。振り返ると両親の影響も大きかったと思います。

Q.3 先生は大学病院から来られていますが、HITO病院の雰囲気はどのように感じましたか?

フットワークが軽すぎる!です。各科の垣根も低く、相談しやすい環境です。また他職種連携も密であり、要望を伝えれば迅速に対応してくださいます。アイデアを出すとすぐ動き出している印象です。

Q.4 当院のような地域密着&ケアミックス病院での研修で、どのような経験や学びがありましたか?

「病気を治す」以外のことも深く考えるようになりました。
実際に経験した症例から一例をあげると、転倒して頭をぶつけた高齢患者さんに対して、頭のCTで問題がないことを確認し帰宅させたことがありました。その後、五十野博基先生から届いたメールが心に残っています。「高齢転倒は過去の転倒歴を聞きましょう。1年以内であれば転倒を繰り返す危険が高く介入が必要です。内科医は受傷部位よりも転倒理由に気を配る。」
なぜこの患者さんは転倒したのか、そして次に同じことを起こさないためにはどうすれば良いのか。適切な介入をするにはその患者さんが普段どのような生活をしているかを知る必要があることに気づきました。足腰が弱くなったのかもしれません。自宅が転びやすい建物の構造をしているのかもしれません。一人暮らしなのか家族はいるのか。どのような介護サービスを受けているのかも気になります。
地域密着&ケアミックス病院での研修を通じて「病気を治す」だけでなく「いきるを支える」能力を伸ばすことができると感じています。加えて訪問診療の経験も大きいです。訪問診療を通じて病院という空間がいかに特殊な環境かを実感しました。

Q.5 今後チャレンジしていきたいことをお聞かせください。

「育ててくれた地元や大学に恩返し」と言えばいい人のように見えますが、それが自分の可能性を大きく広げてくれることに気づきました。そしてまさか地元のHITO病院がこんなにアクティブな病院だとは思いませんでした。地元推しで申し訳ないですが、四国中央市は大きな可能性を秘めた町だと思います。HITO病院の理事長が総合診療科を高く評価してくれていることや五十野先生ご夫妻が来てくれたことなど、様々な後押しがあり信じられない気持ちです。恵まれた環境の中で医師として成長していきたいと思います。 医師の仕事ではないかもしれませんが、四国中央市の魅力を多くの人に伝えることができたらいいなと思っています。そしてこの地で地域医療がしたいという仲間が増えればとても嬉しいです。そんな日を夢見て、これからも頑張りたいと思います。

プロフィール

総合診療科 医師 ※2023年9月まで在籍 近藤 啓介

学会認定・所属学会
日本プライマリ・ケア連合学会、日本内科学会、日本病院総合診療医学会